医王堂通信
としろぐ

「鍛練」

2023.3.22

前回に引き続き漢方の大家の本に大事なことが書かれていました。厳しい内容ですが一部を掲載します。

鍛練もまた健康のための重要な要素の一つである。摂取されたエネルギーは、その日のうちに +(プラス) -(マイナス)ゼロになるまで、使いつくされるのが理想である。ところが、正しい食べ方では、一日一食で、しかも充分に重労働をしてもなお且つ余剰エネルギーを生じやすい。 生きて行くためには、余剰エネルギーは何らかの形で使われなくてはならない。その一部は肥満に廻されるとしても、肥満にも限度があり、しかも皮バンドの穴が一つずれるたびに寿命の方は十年ちぢむと言われるほど危険な方向である。 その他余剰エネルギーは、早老や、知らぬ間に身についた生き方の誤りに応じた病気の方に廻される。

逆に断食や鍛練をすると、余剰エネルギーがすみやかに消費されて、若返ったり、難病から脱却するのがみられる。

「過重負荷の原理」と呼ばれているものがある。楽な範囲内での労働では早老と病弱を招くが、過労とならぬ範囲内で辛いまでに筋肉労働をし、あとで筋肉痛をおぼえる程度の過重負荷ならば、次第に順応性と抵抗力を高めて、若返りと健康増進を来たすというのである。

逆に、「廃用性萎縮」という原理がある。語の示すとおり、用いない器官は退行して萎縮するのが原則である。すなわち、使わなければ萎縮し、正しく使えば発達し、まちがって使えば病む、というようになっているのである。

たとえば四キロ歩いて疲れたのが四〇キロ歩いても疲れなくなったとすれば、それだけ疲労素を生じ難くなったわけである。このことは頭脳の働きについても言えることである。また、一器官の機能のみがいちじるしく優秀でも、他の諸器官の機能が衰えていれば、わずかのストレスにも対応しきれずに病に陥ったり、死を招くことがあるわけである。 したがって心身の各器管の能力が平均して増強されるのが理想である。ここに鍛錬の意義がある。

スポーツや労働で病気になるのは、心、姿勢、食べ方、呼吸、環境などのいずれかに誤りがあるために快的な上達と快い疲労を味わえず、部分的または全体的な過労に陥るからである。したがって、スポーツの在り方としても、健康増進のためには、記録更新を第一目標とする特殊な人たちのみのスポーツを目指すよりは、大衆がなるべく多く参加し得て、楽しみながら鍛えるスポーツの方が望ましいということになる。

よく病人には安静が要求されがちで、昼間から寝巻姿でねている風景がみられる。しかし手術や怪我の直後とか、極端な衰弱、高熱、激しい疼痛などの特殊な場合を除いては、過度の安静はかえって全身機能の低下を招き、病気になった一原因である鍛錬の不足を助長する結果となる。しかも、肉体だけ安静にできても、横臥することや無為にすごすことは、取越苦労、煩悶、焦躁、雑念その他の消極的観念をほしいままにさせ、安静どころか、心を乱す方へエネルギーを振り向けさせやすい。そうして肉体の欠陥を補うべき精神が、逆に肉体の異常によって心まで不健康にさせているのが実情ではなかろうか。(「自然治癒力を活かせ」第6版P49 小倉重成先生著より引用

小倉重成先生(医師)は私の師事している北茨城の田畑隆一郎先生(薬剤師)のお師匠さんです。「正しい食べ方では1日1食で十分」と書かれていますが、その食べ方が「正しい」事が重要で、自己流ではなかなかできません。現代は自然食も少なく、さらに食べ過ぎ飲み過ぎの傾向です。腹八分を心がけましょう。鍛練に向いているスポーツはいろいろありますが、歳をとっても続けられる事です。自然の中でのハイキングがお勧めです。小倉先生は毎日10㎞のマラソン、田畑先生は毎日5000回の縄跳びを患者さんに勧めていらっしゃいます。肉体を鍛えましょう。

千葉大学小倉重成先生と田畑先生

昔の漢方の先生の本には生き方について厳しいことがたくさん書いてあります。(泣)またご紹介いたしますのでお楽しみに。