医王堂通信
としろぐ

腸閉塞

2004.11.11

10歳の夏。
両親は薬草が好きで山を歩くのが好きなため、夏休みを利用して日本で3番目に高い北アルプスの奥穂高岳に登山に行きました。
奥穂山荘に泊まったら高山病で朝までひどい頭痛と吐きどうしでほとんど一睡も出来ませんでした。
その次の日にはお店があるために少し強行で帰りました。
とても暑い夏でしたので、お昼にまたまた「冷たいものはいけません!」と言われたにもかかわらず、冷凍みかんを2つ食べました。
その次の朝です。たしか4時とか5時。
お腹が何か変な感じ。あ。。。。お腹が痛くなってきた。。
トイレに行ってうんちを出しても痛い。
そのうちにおさまりました。しかしそのすぐ後。ものすごい激痛。お腹を曲げていないとつらくて止まっていられないくらい。それから何分かおきに波のように押し寄せる激痛。
すぐに近くのお医者さんに行きました。ガスはない。うんちも出た。レントゲンでも何も写らない。とりあえず点滴で痛みを抑えて様子を見ることに。
家に帰って2~3時間たつとまた同じ痛みが。。しかもどんどん痛くなってきて痛みでじっとしていられない。
ちょうどおばあちゃん二人が来ていたので、二人にお腹をさすってもらったり、手足を押さえてもらったりしましたが、それを振りほどいてしまうくらいでした。
あの時の痛みは一生忘れる事は出来ません。死んだほうが多分楽になるだろうと、子供ながらに思い「殺してくれ!」と叫んでいました。
父はそこで漢方薬を持ってきてくれました。今でも後悔していますが、飲みませんでした。
飲んでいれば今頃。。。(後悔先に立たず)
そこでまた近くのお医者さんに行きました。また点滴をしていただいたらケロっと痛みが引きましたが、原因不明でおまけに痛みが尋常ではないため、近くの大学病院を紹介していただき入院しました。
大学病院でも検査を色々やりましたが、そこでも原因不明。しかし点滴で痛みは何とか抑えていました。しかし痛み止めが体の中で少なくなってくるのがわかるくらい痛みがまたぶり返していました。そのまま一晩たちました。
次の朝、急に小児科の担当のお医者さんが部屋に入ってくるなり手術しますと。
今回は盲腸の時のような手術に対する恐怖より、痛みに対しての苦痛のほうが勝り早く手術をして痛みを止めてもらいたい一心でした。
2時間30分の手術で原因は「腸閉塞」。腸閉塞らしい症状がはっきりなかったようです。
腸が絡まって血が行かなくなり、お腹の中で腐り、長さは約1メートル切ったそうです。
気が付くと目の前にビニールが。
それは首から上だけの酸素テントでした。ビニール越しに見えた両親の顔が今でも思い出されます。
集中治療室で酸素テントをしばらくしていましたが、テントの中は暑く、氷を酸素が出るところに入れてもらうと涼しくなるため、看護師さんによく来てもらいました。
食事はしばらく食べられず、しばらく点滴をしました。冷た~い輸血もしました。
しばらく鼻から胃までカテーテルを入れて胃液を注射器で吸って捨てていました。
長男がそれをやってくれた時、注射器を引っ張りすぎてぬけてしまい、痛い思いをして泣いてしまいました。
一番最初に出た食事はいまだに忘れられませんが、おぼんに器が4つ、ミルクセーキ、コーンスープ、重湯、牛乳でした。そのミルクセーキの味は美味しかった。
その後順調に回復し、約3週間で退院しました。
すっかり病気とはおさらばかと思えば、つらい事はまだまだ続きました。
1日数回の下痢、お腹のモジモジ感、渋り感、腹痛、下痢で出したいのに力んでも出ない。
しょっちゅうトイレでつらくて泣いていました。そのたびに父や母がお腹に手を当てて温めてくれるとだんだん楽になりました。いろいろ手当てと言われる事はやりました。
お灸もやりました。天然のお塩をフライパンで炒って新聞紙で包んでお腹に当てる。
冷えたらまた炒って繰り返す。ハッカ油をお湯で薄めてタオルに湿らせて軽く搾ってお腹に当てたりもしました。
漢方薬の処方もちゃんと飲みました。どの療法も楽になりよく効きましたが、つらくないようになるまでは時間がかかりました。
何かものを食べるとご飯中でもすぐにモジモジしてトイレに行きたくなる。行きたくなったら我慢が出来ないので走ってトイレに駆け込みました。
1日に4回~多い時は10回を超えました。それから大人になるにつれ、だんだんそんなお腹にも慣れてきました。手術する前はどんなお腹だったか覚えていません。
電車やバスに乗る事は自殺行為でした。トイレのないところには行けません。はずかしいですが、外でもよくもらしました。小学校は電車通学だったために、トイレのある駅、及びビルはすべて頭に入っていましたし、青葉台の駅から家まで徒歩3分なのに間に合わずにもらしてしまった事もあります。お腹の調子がうまく行くようになるのに10年はかかりました。
15歳の頃>